ぼくは知的生産性とは、情報を生み出す力だと思う。現実の状況を観察してある事実を発見する。また先人の考えたことを、自分の知識として吸収する。そうやって発見した事実や収集した知識を組み合わせて新しい情報を生み出すことが知的生産だと思っています。
かけひきの科学―情報をいかに使うか
情報とは、それが到着、あるいはそれを入手したとたん、環境を一変させる力を持つ。もちろん到着しないかぎり、なんの力ももないのである。コンピュータの登場によって、情報の価値が下がりました。それは簡単にコピーができるから。コンピュータを使えば、大量の情報を紙の上にきれいな文字で印刷することができます。それもかなりの安価で。印刷などしなくとも、インターネット上で公開すれば瞬時に共有できます。だけど「何という文字を書くか」と「どのような文章の構成にするか」などを考えることは、人間にしかできない。この人間にしかできない想像的なことが知的生産だと思う。
池田信夫 blog:あなたの知的生産性を10倍上げる法
ただ本当に普通の人の10倍以上の才能がある人の書いた本には、学ぶべきものがある。たとえば谷崎潤一郎『文章読本』は、日本語論としては見事な古典だ。勝間さんの本では、素材となる情報をどうやって集めるか、そしてそれをどうやって発信していけばいいのか。一技術を紹介しているだけで、別に批判するようなことではないと思います。というか、ハウツー本、それもベストセラーだからくだらないというのは、偏見そのものです。10倍以上の才能がある人の書いた本に勝間さんの本は入らないのでしょうか。
知的生産の技術
技術というのは、原則として没個性的である。だれでもが、順序をふんで練習してゆけば、かならず一定の水準に到達できる、という性質を持っている。それは、客観的かつ普遍的で、公開可能なものである。ところが、それに対して、研究とか勉強とかの精神活動は、しばしもっとも個性的・個人的ないとなみであって、普遍性がなく、公開不可能なもであるという、かんがえかたがあるのである。それは、個性的な個人の精神の、奥深い秘密の誠意でいとなまれる作業であって、他人にみせるべきものではない・・・・・・。知的生産によって得られる結果は、その人の能力によってかなり差が開くことは事実です。そしてその差が収入にも大きく影響を与えることも事実です。より影響力のある情報を作るにはどうしたらいいか?より生産性をあげるにはどうしたらいいか?それを知りたいと渇望して何が悪いのでしょうか。この本を手にとった人は別に楽して儲けたいと思ったわけではないと思う。
しかし、いろいろしらべてみると、みんなひじょうに個性的とおもっているけれど、精神の奥の院でおこなわれている儀式は、案外同じようなものがおおいである。おなじような工夫をして、同じような失敗をする。それなら、おもいってき、そういう話題を公開の場にひっぱりだして、お互いに情報を交換するようにすれば、進化もいちじるしいであろう。
過去の人々が残してくれた叡智があるからこそ、私たちはそこから出発できます。その叡智も最初から人類に与えられていたわけではなく、私たちの祖先がこの地上の体験を整理し、新たな知を獲得することを続けてきたからこそ「今、ここ」にあるのだと思います。
凡人のぼくに生産性をあげるための「ヒント」くれたのは勝間さんだ。ぼくは、ぜひありがとうと言いたい。
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梅棹先生の本は本当に、私にとって目から鱗だったので、その一部の体験でも、再現できれば幸いです。
ありがとうございました。
勝間さんの本もぼくにとっては目から鱗でした。これからも、頑張ってください。ぼくも勝間さんのようになれるよう頑張りたいと思います。